はじめまして、弁護士の若林侑と申します。
《学歴》
袖ケ浦市立平川中学校、千葉県立千葉高等学校、中央大学法学部法律学科、中央大学法科大学院
《経歴》
司法修習(宮崎)、名古屋市内及び東京日本橋の法律事務所の勤務弁護士、当事務所設立(平成27年1月)
《解決実績》
こちらのページの【解決実績】をご覧ください。
取扱い事件として多いのは、順に、離婚男女トラブル、相続関係、交通事故、労働関係(労働者・使用者)、会社関係、一般民事、刑事です。刑事事件については、全体の事件種の中では少ないですが、近隣弁護士の取扱数よりかは多いと自負しています。
《主たる顧問先》
大手不動産会社、大手通信機器販売会社、大手菓子メーカー、老人介護施設、学童施設運営法人、建設関係会社、水道事業者、ジェットスキー販売業者、インターネット配信業者、脱毛サロン経営会社等20社程度
《座右の銘》
明日やろうは馬鹿野郎
《趣味》
国内旅行、カラオケ(サザンオールスターズ)、プロ野球観戦(読売巨人軍)、お笑い鑑賞
《所属委員会(千葉県弁護士会)》
子どもの権利に関する委員会 委員
《所属団体》
袖ケ浦ロータリークラブ 会員
木更津法人会 会員
《役職》
君津市いじめ調査委員会 委員(平成30年4月1日~)
南房総教育事務所スクールロイヤー(令和元年7月~。ただし、君津市は除く。)
当事務所は、かずさ地域に根差した、町の診療所のような法律事務所を目指しています。
風邪を引いたときに近くの町医者に行くように、法律問題(法律問題かもしれない問題)に直面した時にまずは相談に行ってみよう、とかずさ地域の方々から思っていただけるような法律事務所がきみさらず法律事務所です。
きみさらず法律事務所の名前の由来は、言うまでもなく、木更津・袖ケ浦の名前の由来となった「きみさらず伝説」に由来しています。「きみさらず伝説」とは、木更津市内にある君去らず大橋の歩道にある日本武尊と弟橘媛の銅像の台座に、その内容が記載されているので、以下それを引用します。
(引用)
第十二代景行天皇の皇子として生まれた日本武尊は、父にうとまれ、西の熊襲、東の蝦夷の平定へと向かう日々でした。東へ向かった日本武尊は、弟橘媛とめぐりあい、后に迎えます。しかし、相模の走水から上総へ渡ろうとしたとき、海が荒れ、船が難破しそうになりました。弟橘媛は尊の身代わりになって海神の怒りを鎮めようと、我が身を海に沈めたのです。
やがて木更津に上陸した日本武尊は、愛する媛の面影を偲んで何日も立ち去らなかったといいます。これが、君不去=きみさらず=木更津の起こりと云われています。また、媛の御衣の袖が海辺に流れ着いたことから、袖ヶ浦という地名が生まれました。
(引用終わり)
当事務所の事務所名は、この伝説が名前の由来となっているかずさ地域にあるというだけでなく、日本武尊のように屈強で、弟橘媛のように献身的なリーガルサービスを提供できる法律事務所という理念のもとに名づけました。
当事務所のロゴは、その日本武尊が武器および神器として使用していた草薙剣(くさなぎのつるぎ)と、公平・公正=弁護士の象徴である天秤を掛け合わせたものをイメージして作成しています。